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大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)1223号 判決 1967年1月30日

被控訴人 株式会社大和銀行

理由

控訴人主張の請求原因第一項の事実は、被控訴人において明らかに争つていないから、自白したものとみなされ、また、本件手形に関し控訴人が被控訴人と普通預金預入契約をなし、被控訴人から普通預金通帳一冊(甲第一号証)を受領したことは当事者間に争いがない。

本件では、右の普通預金預入契約の性質・効力が主要な争点となつているから、まずこの点について判断する。

そこで、手形所持人たる控訴人の被控訴人に対する本件手形の支払呈示の時から本訴提起にいたるまでの経緯すなわち本件事実関係につき考えてみると、《証拠》によると、次の事実を認めることができる。

一、本件手形の振出人岩井貞治郎は、昭和二六年六月二五日被控訴銀行支店と当座預金取引契約を締結し、以来同支店との間に当座預金勘定規定に従つて当座取引を継続していたところ、昭和三九年一月二〇日都合により右取引契約を合意解約するとともに当座預金残高に相当する現金三、六三三円の引出(払戻)を受け、当座預金は皆無となり、かつ爾後同支店に対し何らの預入(入金)をなしていなかつたものであること。

二、ところで、本件手形の所持人である控訴人は、その満期日に支払場所である同支店に赴き、同支店当座預金係員に対し、本件手形を呈示して振出人岩井貞治郎が同支店と取引があるなら現金にて手形金の支払を受けたい旨申し述べたところ同係員は、自店払のものであつても一たん所持人の預金口座に入金する手続を経た後でなければ現金の支払をできない取扱になつているところから、前記岩井の当座取引関係を調査することなく、控訴人に対して、即時現金払はできず、かつ控訴人は同支店と当座取引がないから、一旦普通預金係で普通預金として入金手続をとる必要がある旨回答し、控訴人も右回答に従い同支店普通預金係に行つて、同係員に前同様の申述をなしたうえ、本件手形金相当の普通預金をしたい旨告げたところ、同係員高田守は、前記岩井貞治郎が被控訴銀行支店と当座取引のあつたことを想起し、即座に現在も同取引は継続し、当座預金があるものと考え、委細調査をすることもなく本件手形は取立可能のものと即断し、控訴人の申入れを容れて、本件手形預入につき、新規の普通預金預入手続を履践したのち、控訴人に対し、口座番号第九五五六号の普通預金通帳一冊(甲第一号証)を交付し、控訴人はこれを受領のうえその儘退参したこと。

三、ところが、同日控訴人退参後、前記普通預金係員高田守は、本件手形の取立手続履践のため、同手形を同支店当座預金係に回付したところ、折り返えし同係から、前段所述の事情により振出人岩井貞治郎との間に当座取引人のないのは勿論、少しの預金等も存しないので取立はできない旨の回答と共に「支払済取消」のスタンプ印を押捺された本件手形の返還があつたこと。

四、そこで、普通預金係員高田守は、即時控訴人の普通預金勘定について本件手形による預金預入を不渡により取消す旨の手続を履践(乙第二号証参照)するとともに、控訴人宅(電話番号、大阪府下、枚岡局第二、八七〇番)へ電話を掛け、居合わせた控訴人の妻に対し「岩井の当座預金は解約となつていたから、本件手形金による預金預入れはできないこととなつた、預金通帳を持参して来店下さい。」旨通知をなしたこと。

五、ところで、本件普通預金関係はその儘放置されていたのであるが、その後控訴人から委任を受けた萩家末吉が被控訴銀行支店に来店し、本件普通預金払戻請求をなしたところ、前記普通預金係員高田守は、「本件手形は不渡となつていて、控訴人にもその旨通知してあるから、支払請求に応じることはできない。」旨回答したのである。しかしてこれに不審をいだいた控訴人は、弁護士高原順吉を代理人として昭和三九年九月九日到達の内容証明郵便(甲第二号証の一)を以て被控訴銀行支店に対し「一たん本件手形金の回収可能を宣言しながら、前言を翻えすことは、自店払手形の措置としては、不相当である、当然手形金の支払があつたものとして処理すべきである。」旨通告したのであるが、何分の返答がなかつたので、本訴提起に至つたこと。

六、なお、被控訴銀行支店を含め被控訴人の本、支店では、(一)普通預金預入契約の締結につき普通預金規定があり、これに基きすべての普通預金預入契約が締結されるものであつて、同規定中には「この預金には現金のほか小切手、手形、利札、配当金領収書等でもお預りいたします。但し、これらは取立済となるまではお支払できません。万一これらのものが不渡となりましたときは、その預り金を取消すか、又は代り金を頂いた上、これらをその儘お返しいたします。」旨の定めがあり、この定めは本件普通預金通帳を含む被控訴人発行のすべての普通預金通帳裏面に記載せられている、(二)また、預入の手形の措置としては、他店払或は他行払の手形小切手等は直ちに手形交換に廻し、三日間内に返還なきときは入金があつたものとして措置するのであるが、自店払の手形小切手は、すべて受入れた日に自店の当座預金係に回付集積し、振出人(為替手形では引受人)の当座預金口座から引落とすが、若し預金残高がなければ、預入当日中に預金者へ不渡の連絡をする取扱いとなつていること。

このように認定することができる。《証拠判断省略》

しかして前記認定事実によると、控訴人から被控訴銀行支店に対する本件普通預金の預入は、本件手形の預入れであつて、かつまた本件手形の取立が可能であることはその預入の際即ち控訴人が本件手形を同支店係員に最初に呈示してのち普通預金通帳の交付を受けるまでの間においては同支店係員によつては確認されていず、その後に至つて振出人岩井貞治郎との当座預金取引契約が既に解約となつており、預金残高は皆無であることが確認せられたことが認められる。

換言すれば、(一)右の預金預入は、手形の支払呈示によつて現金が支払われるべきところ、その支払をしたものとし、これを直ちに預入れたもの(預入の対象は手形金相当の現金)と断じえないのは勿論のこと。(二)また、これが預入れに際し振出人の預金残高が十分あることを確認のうえ預金として確定的に預入れを受けたもので、後に異議を申立てない趣旨の預金預入れでもなかつたことは当然である。

従つて、本件預金預入は極く通常の“手形による預金預入”であると解せられるところ、手形の預入による預金の成立時期については必ずしも意見が一致していないところである。

しかしながら、本件手形がいわゆる自店払の約束手形であり、かつ被控訴人の本店、支店においては、自店払約束手形の預金預入を受けた場合、受入当日中に手形金相当額を振出人の当座預金の口座から引落とし、もし預金残高のないときは直ちに当日中に預金者にその旨の連絡をすることとなつていることは前判示のとおりであり、かつまた、前記高田守の証言および弁論の全趣旨によると、自店払の手形・小切手については、当該銀行本支店は、自ら支払担当者として、いつでも振出人の預金残高の確認が可能であり、直ちにこれを確認すべきところ、事務処理の都合上、その確認を後廻しにするという取扱がなされていることを認めることができる。

以上の諸点を綜合すると、被控訴人取扱にかかる自店払の手形小切手の預入れによる預金は、特段の事情のないかぎりその預入の時直ちに成立し、ただそれは、預入れ当日中に預金不足等によつて預金預入手形・小切手が不渡となつた旨の通知がなされることを解除条件としているものと解するのが相当である。

しかるところ、控訴人は、「自店払手形の呈示を受けた銀行係員が手形所持人に対し手形金額以上の預金を振出人名義で保有している旨確認したうえなされた本件普通預金は、その預入の時に当然確定的に成立するもので、かつ被控訴人主張の普通預金規定中の条項も右預金預入れにつき適用されないから、銀行は、のちに手形金回収不能を理由として預金債権の成立につき異議を申立てることはできない、」と主張し、本件については前記解除条件を随伴するものでない旨抗争している。

銀行(係員)において、手形振出人が、預金預入れ手形金相当の預金債権を有していることを確認して、右手形による預金預入れを受託したときは、のちに右手形の回収不能であつたことを理由に、預金預入れに異議申立(取消)をすることのできないことは、控訴人主張のとおりであるけれども、被控訴銀行支店係員が本件手形の預金預入れに際し、右の確認をなしていなかつたことは、前段認定のとおりであるから、控訴人のこの点の主張は、認めることができない。また、被控訴人主張にかかる普通預金規定中の条項が自店払手形につき適用がないという控訴人の主張も、右条項が前段所述のとおりの解除条件として働らくという修正を受ける(詳細は、のちに述べる)としても、右の適用を全く排斥すべき理由は少しも見当らないから、右主張も採用することができない。

とはいえ、銀行が、預金預入れの際異議を留めず、預金として手形・小切手を受入れた以上、通常、預金者において当然振出人の預金残高を確認して確定的な預金預入れを受けられたものと考えないとはいいえないから、銀行は、手形金回収不能の場合の措置につき予め約款でその点明示しておくか或は個々受入れの際その点の解説を試みておく必要があり、若しかような点の配慮をなさず、後日に至り無下に預金者の預金債権の主張を否認することは、公益機関として信義を重んずる誠実は銀行の措置としては許されえないところであり、従つて、銀行の預金預入行為の否認(取消)が諸般の事情を考慮したところ著しく信義を欠き取引通念に反する場合においては、右否認行為は無効であつて、当該預金債権は預入当初より確定的に成立しているものと解するのが相当である。

これを本件について考えてみるに、前記認定のとおり、被控訴銀行支店預金係員が、手形振出人岩井貞治郎が、もと、同支店と当座取引があつたということを念頭に、控訴人の申出を半ば鵜呑みにして即刻本件普通預金預入手続を完了したことには、銀行実務の要諦を欠く不行届な措置であるというそしりなしとしない。しかしながら、控訴人が右預金預入につき被控訴銀行支店の当座預金係から普通預金係へ一巡した時の経緯についての前段認定の諸事実を仔細に検討し、かつ原審における控訴人本人尋問の結果により認められる、「控訴人は、他からもらつた手形を普通預金として入金したり、更に割引に廻していたりしていた。本件手形は元来萩家末吉所有のものであるが、同人が取立に廻すのを忘れて満期になりあわてて控訴人に現金化を頼んで来たものである。」ことその他弁論の全趣旨によると、控訴人は、被控訴銀行支店より本件手形の呈示によつて直ちに現金の支払を受けたかつたのであるが、取立手続を経る必要があり即座に現金払を受けられないことを知り、これを諦め、同支店係員の指示もあつて、一旦右手形を普通預金として、預入れ、取立手続後改めて現金の払戻を受けるべくその場は一旦退参したのであるが、間もなく同支店係員から、右手形は不渡となつたから、即刻預金訂正手続をしたい旨の通知を受けたが、その儘放置しておいたことを認めるに難くはない。

そうだとすると、被控訴銀行支店が、本件手形の不渡通知を発することにより、本件普通預金債権の成立を否認(取消)したとしても、これを以て信義誠実に反する無効のものであるということは、できないものというべきである。

なお、被控訴人は、本件普通預金については、前判示のとおりの普通預金規定中の条項が存することを以て、銀行は、預入れにかかる手形・小切手が不渡りのときは、いつでも預金債権を否認(取消)できる旨主張しているようである。勿論、右預金成立の時期については、当事者間で特約をなすをさまたげず、かつ、右普通預金規定中の「手形小切手による預金預入については、取立済まで支払請求できず、不渡りの際は、預金預入を取消ことができる、」等の定めが、いわゆる普通契約条款として被控訴銀行支店における普通預金預入契約者間において契約条項と同一の効力を保有するものであると解するのが相当である。

しかしながら、右普通預金規定の定めなるものは、一般抽象的な定めであつて自店払の手形・小切手に関し具体的な措置までも定めたものとは解しがたく、むしろ、前段所述のとおりの自店払手形・小切手に関する取扱の特色をも勘案すると、被控訴人(本・支店)においては、自店払の手形・小切手の不渡りによる預金預入契約の取消は預入れ当日中に不渡通知を発することによつてのみ右預入契約を取消(否認)しているものであつて、右の規定の趣旨もこの措置を採りうることを明定しようとしたに過ぎないものと解するのが相当であり、被控訴人の右主張は容れることができない。

右に述べたとおりであつて、これ以外に、当事者間に別段の特約をなしたこと、その他前記解除条件付預金債権成立に対する特段の事情につき、何らの主張立証のないところである。

そうすると、本件手形の預入による普通預金は、前記解除条件の成就なきかぎり、その預金預入の時に一応成立するものと解すべきところ、前段認定の事実によると、被控訴銀行支店は右手形の預金預入れのあつた当日の、しかもその直後振出人岩井貞治郎の当座預金口座残高の確認をなしたところ、岩井貞治郎との当座預金取引契約は既に合意解約となつていて、預金残高のないことが判明したから、直ちに同日控訴人宅に電話をして控訴人の妻に対して本件手形の不渡通知をなしたことが明らかであるから、結局本件手形の預入による預金の効力は、右の不渡通知という解除条件の成就により、失効するに至つたものといわなければならない。

よつて、本件手形の預金による普通預金債権は、前記解除条件の成就によつて、失効したものというべきである。

なお、控訴人は、被控訴銀行支店(係員)の不相当・不行届な指示に従つた結果、本件手形金回収不能という損害を被り、その責任は、全く被控訴人が負うべきであるから、その点からも本件預金債権の存在を否認さるべきでない旨主張しているようである。

しかし、控訴人が、その主張のとおり被控訴銀行支店の所為により損害を被り被控訴人に対しその損害賠償請求権を取得したとしても、それは、別異に損害賠償請求をなしうるか否かはともかく、これを以て直ちに本件普通預金債権の成立につき消長を及ぼすものでないことは、理の当然とするところであつて、この点において既に控訴人の右主張は理由がない。

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